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やっと書きます「東京タワー」感想 

すっかり出遅れてしまいましたが、やっと書きます。
今日になってようやく、「もうひとつの東京タワー」も見られたし
(久しぶりに行きたくなったな。私たち夫婦の初デートは、東京タワーだったの。懐かしい・・・。)
すっかり忘れちゃわないうちに、書いておきます。

 ※ ※ ※

まず、前提として
・原作は全く読んでいない
・主人公リリー・フランキーという人について、ほとんど何も知らない
ということを確認しておきます。

そういう人が書いた感想として、お読みくださいね。


■ドラマ全体の感想

ドラマを見終わったときは頭が痛くなるくらい泣いていたけれど
冷静に考えてみると、なぜあの話がベストセラーなのか良く分からない。

きっと原作の小説には、ドラマにはない魅力があるのだろう。

例えば、主人公雅也。
少年時代は家に寄り付かない父に複雑な思いはあっただろうが、
母や祖母やおば達の愛に包まれて成長したのに
なぜ30になるまで東京であんな暮らしをしていたのだろうか。
若者の苦悩というか、リリーさんの言っていた
「この町のどこかで楽しいお祭りをやっているはずなのに、自分だけはそこへ行けない」みたいな自己実現への渇望は理解できるけど、
ドラマはそこまで描ききれてない。
ないから、無気力にただ浮浪者になっちゃったみたいに見える。

その後、真沙美と出会って変わっていくのだけど、
どうだろう?雅也自身はそれほど魅力的な人物だろうか。
彼を演じたのが大泉洋でなければ、
私は雅也にあまり魅力を感じないし感情移入もできなかったと思う。
主人公に確たる魅力がないというのは、ドラマとして厳しい。

ただ、もう1人の主人公「オカン」は
それはそれは魅力に溢れる人物だった。
リリーさんのお母さんだから、私の母よりちょっと上くらい
ちょうど戦中に生まれた方なんじゃないかと思うんだけど。
働き者で世話好きで可愛げがあって、何もかもを許容してしまうような包容力がある。
そしてその「オカン」の魅力を女優田中裕子が完璧に表現していた。
彼女の存在感というか、まとっている空気(こういうのをオーラっていうのかも)には圧倒的な力があって、とにかく惹きつけられてしまう。
すごい女優さんだと思った。

この「オカン」が偉大すぎて、「ボク」はなかなか一人前になれなかったんだろう。
息子と母親の関係は、本当に不思議なものだ。
これは、私も息子を産みこの手に抱いた瞬間から感じていることだ。
娘とは、はっきりいって全然違う。娘と父親との関係ともまた微妙に違うだろう。
特に子供が小さい頃は、母親は息子にとって絶対的な異性である。
一方母親である「オカン」の方も「オトン」が時々しかいなかった分愛情のベクトルは息子へと向かったのだろう。
ドラマの中でも、雅也が言っていた。
「オカンはずーっとボクだけのものだった。ボクもずーっとオカンだけのものだった。」
この言葉が、2人の関係を端的に表している。

けれど。
どんなに求めても母親と息子はあくまで母親と息子でしかない。
息子は、母親の病気、そして死によってやっと母親から自立することが出来た。
原作は分からないけど、少なくてもこのドラマは
「母親からの自立」がテーマなんだと思う。
だからこそ、賛否両論あるらしいラストのシーンが必要なんだろう。
私は、あのシーンはとても好き。
むしろアレがないとただのマザコンな男の話になってしまうのでは、と思うくらい。
母親はあくまで母親で、確実に先に死んでいく存在である。
描かれていることは、原始から変わらない、当たり前のことなんだよね。
母親側から見ると、息子はそれはもう愛おしい存在だけれど
やはりあくまで息子であって
いつかは自分から巣立っていくべきもの。
生まれたばかりのときは一心同体とさえ感じられた息子が
自分でない女性(彼女)を愛していると知ったら、どんな気持ちになるんだろう?
たまに想像するけれど、多分淋しくもあり、嬉しくもあるんだと思う。
母親ってそういうもんなんじゃないかなぁ。
「オカン」も真沙美の存在を喜んでいた。
指輪まであげちゃうくらい。
(オカンがタワーに何度も登ったって言ってたのは、彼女が指輪をつけてタワーに登ってたから、だよね?)
オカンは、幸せに死んでいったと思うよ。
まだまだ若くてかわいそう、って一般的には思うかもしれないけど
“母親”としてはもう十分満足だと思うから。
息子が自立して、彼女も出来た。他に何を望む?
愛する存在に見守られて死んでいった彼女は誰よりも幸せだと思う。
子供を生んで、育てて、死ぬ。
それは昔から生物が繰り返し行ってきた、理だから。

この「東京タワー」が今後映画や連ドラになるそうだけど
どうなんだろうか?
映画はともかく、連ドラにするほど話が膨らむの?
私は多分、どちらも見ないと思う。
ただ、原作だけは手元にあるので
今の思いが冷めないうちに読みたいと思っている。


■主演の大泉洋について

雑念には、一切影響されずに見ることが出来た。
主演大泉洋が、雅也になりきっていたことの証だと思う。
今までのドラマに見られた、舞台役者的な動きは全く感じられなかった。
しかし、かといって「素」という感じでもなく
ちょっとした首をかしげたり薄く笑ったりする仕草が自然で
とても良かった、と思う。

だてに忙しくドラマだ映画だと出まくってたわけじゃなかったね。(笑)
確実に、力をつけているのが分かって嬉しかった。

ただ、嬉しい反面、見終わった後自分の中で大泉洋という存在に一区切りがついた、というか
何かが変わった、という思いが強く芽生えた。

あ、決してファンをやめるとか嫌いになるとかじゃないの。
そう、なんて言うかな、“新しい段階に入った”という感じ。
今までももちろん、連ドラに出たり映画に出たりして全国区のタレントではあったんだけど
それでも何となく自分の中で
「まだまだ知らない人も多いし、私たちが応援しないと!」みたいなね、傲慢な(苦笑)気持ちがあったのかも。

でも、今回ドラマが無事放送されて
彼はもうそういう存在ではないと思い知らされた気がする。
有名俳優と肩を並べて出演する、立派な芸能人なんだって再確認しちゃった感じ。
もう、「ローカルタレント」って肩書きも似合わなくなってくるんじゃないかな?
もちろん、これは、喜ばしいことです。
自分が応援してる人が、さらに出世したってことだから。
一区切り着いたとはいえ、別に何が変わるわけでもなく
私はこれからも同じように見守っていくんだけどね。

そうそう、1月からは日テレで連ドラだってね!?
局が今までと違う分、ちょっと楽しみだけど
芝居の方に時間が取れるのか少し気がかり・・・。
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コメント

東京タワー

僕も見ました。
連ドラの話を知った時思ったこと。
雅也の役は大泉洋しかありえない。
オカンの役は田中裕子しかありえない。
ということです。

連ドラでは、リリーさんの言う自己実現への渇望がじっくり描けるのではという利点はありますが、
主演が速水もこみちと聞いて一気に見る気が失せました。
映画版のオダギリジョーはまだ許せるのですが。。

演出をする予定だった久世さんが生きておられたら、
連ドラ化は強く反対されただろうに・・・と思います。

大泉さんについては、もう東京のキー局が放っておかない存在になってしまってますが、
本人のポリシーが揺るがない限りは、まだまだ大丈夫、と信じてます。

ありえない・・・かどうかは正直分かりませんが(笑)、でも最初にやったもん勝ちっていうか、最初のイメージって強いってのはあると思います。
それに、今回のキャスティングは全体的にすごく良かった気がします。
オトンの蟹江さんなんかも最高だったのではないかしら?

原作を全部読んでみて、まぁ連ドラにも出来るだろうなぁとは思いました。
多分、見ませんけど。^^;

ポリシーって、ローカルタレントってこと?
そうかなぁ・・・そうであってくれると嬉しいなぁ・・。
  • [2006/11/24 20:47]
  • URL |
  • ミヅチ>あっちゃんさま
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